グラスホッパー』を読んで

 

 伊坂幸太郎という名前は聞いたことがある。書店でアルバイトしていた私はその名を聞いたことがあります。しかし、その人が何を書いているかは知りませんでした。『陽気なギャングが地球を回す』、小学生のころ教室で誰かが読んでいた気がする、、その時だと思う、伊坂幸太郎という名前を見たのは。

 

 今回は『グラスホッパー』を読みました。こてこてのミステリーとはつゆ知らず。面白かったです。読まず嫌いしてたかもしれませんが、読みやすくてあっというまによみました。

グラスホッパー (角川文庫) | 伊坂 幸太郎 |本 | 通販 | Amazon

  • あらすじ

 元教師の鈴木は妻を殺した寺島を追って「フロイライン」という会社で契約社員として働いている。非、合法に。自殺専門の殺し屋の鯨は今日も誰かの依頼を受けて誰かを自殺させている。非、抵抗に。ナイフ使いの殺し屋の蝉もどこかの家族を殺している。非、情に。3人はある事件をきっかけに「押し屋」を殺すために追いかけます。鈴木は「押し屋」に、鯨は亡霊に、蝉は雇い主に圧倒され、影響されながらもそれぞれの目標のために出会う。

 

  • 感想

 ドラマチックだったなと思いました。作中を貫く運命論がそうさせているのかな。鈴木は、直接的に出てきませんが、槿(アサガオ)と劇団が織りなすストーリーの中で彼は踊らされていました。ネタバレになりますが、鈴木の行動は逐一槿一家の手中で支配されていました。彼が追いかけたことも家庭教師として来たと偽ったこともすべては想定内でした。鯨は公園のホームレス(田中)に幻覚が見えていることを言い当てられ、殺し屋としてのキャリアを終わらせようと田中の指し示したストーリーに則って殺しを行いました。蝉は雇い主である岩西との上下関係に不満を抱いて岩西の操り人形になるまいと勝手に「押し屋」を殺すことを計画しました。しかし、岩西は蝉の自主的な行動を認め、父親のように喜んで鯨に殺されました。

 この小説で私が感じたのは運命からの逃れ方です。鈴木、鯨、蝉の3人はそれぞれの運命から逃れようとしながらも運命のうちに生き、死にました。しかし、その運命を命じたのは誰でしょうか。鈴木は比与子という「フロイライン」の上司により運命を握られていました。彼女の要求に応えることが鈴木の仕事であり指名でした。鈴木はその運命に抗い、槿の居場所を比与子に告げることはありませんでした。しかし、その運命すらも槿たちによって握られていたのです。鯨は公園で偶然お告げを受けた田中の発言を真に受け、殺し屋家業を終わらせに岩西のもとへ向かいました。彼は幻覚と現実が混ざり合う境界に生きていました。田中の発言通りに、つまり幻覚を消すには現実と向き合わなければなりません。しかし、彼は最後まで幻覚に悩まされ続けました。蝉はある映画を見て、上司の操り人形であることに抗いました。彼の上司の岩西はジャック・クリスピンの言葉を引用することが特徴的な斡旋屋でした。それぞれが少し違った形で運命と向き合います。共通点もあります。それは、運命を下す先です。鈴木は「フロイライン」の社長に指令を受けた比与子に、鯨は神?によって宣告を受けた田中に、蝉はクリスピンの言葉を通じた岩西に。つまり、会ったこともない上位の存在に彼らは運命を握られていると言い切ってもいいのではないのでしょうか。問題は結果です。鯨と蝉は結局運命のうちで死にました。しかし、鈴木は生き延びました。それは槿のおかげもあったのでしょうが、妻のおかげでもあります。事実、最後の場面で鈴木は妻の真似をしてバイキングでたらふく食べます。運命から逃れることはできません。しかし、運命のうちでどのようにふるまうかはまだ余地があると思います。その余地を鈴木は死んだ誰かのように生きることによって切り開こうとしているのではないでしょうか。この点、鯨が死んだように生きるといったのは的を得ていると思います。人は一人で生きることはできません。孤独死してしまいます。穿った行動をしてみても、結局運命の鎖から逃れることはできません、蝉のように。考え続けて向き合い続けても運命(責任)から逃れることはせきません、鯨のように。だいぶん論は飛びますが、私たちは死んだ誰かの代わりに生きる運命にあります。私が死んでもよかったのです。しかし、死んだのは他の誰かです。要するに私は誰かの生を生きています。運命の楔の中で私の運命に翻弄されないように生きるには誰かの生を生きる必要がある、この本は私にそう伝えた。

 

 論の展開が甘くてすみません。

 またいつか。